山内溥とイチローの接点はシアトルマリナーズにあった!

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山内溥が先日、肺炎のために亡くなりました

山内溥ってだれ?どんな人?

という方のために簡単に紹介します

某ネット百科事典を参考にしました

○山内溥

山内溥

・概略

実業家

有名な任天堂の3代目代表取締役社長を1949年~2002年の間務める

2002年~2005年に社長を退いてからは同社取締役相談役を務める

2005年以降は相談役を担った

 

・経歴

後継ぎとして育てられ、1947年に花札やトランプを製作していた合名会社山内任天堂の

販売子会社の株式会社丸福の設立時に取締役になる

2年後に同社の代表取締役の父が倒れ、22歳の若さで代表取締役社長に就く

当時労働争議が激しかったが持ち前のアイディアの豊富さで丸く収めることも出来た

その頃のアイディアで「プラスチックトランプ」や「ディズニートランプ」を開発した

それまでは賭博の道具だったトランプや家庭にも広がり、成功を収める

その後はタクシー業界や、食品業界に手を広げたが失敗に終わり、倒産の危機も経験する

そんな時に従業員の暇つぶしでパンとグラフ式マジックハンドの元祖ともなる

「ウルトラハンド」を開発して再びブームを作る

その後に電子ゲーム業界に参入する

1980年に「ゲーム&ウォッチ」を開発し、今までの負債をチャラにしても余裕が

出るほどの売り上げを記録した

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その後にゲームボーイやファミリーコンピューター(ファミコン)の開発でさらに成功を収める

2002年にHAL研究所から岩田聡を呼び寄せ、社長の座を譲る

その際に「2画面のゲーム機」の開発を促し、後のニンテンドーDSとなる

満85歳で肺炎のために亡くなる

 

・実業家としての面

1992年にアメリカ大リーグのシアトル・マリナーズが経営危機になり、シアトルから移転を考えていた

山内溥は「シアトルに任天堂を長年置くしてくれたお礼」としてポケットマネーで運営会社の株式を購入

そのおかげでシアトル・マリナーズは移転せずにとどまることができた

この時に大リーグ史上初の非白人オーナーとなった

しかし、飛行機嫌いもあり、一度も本拠地を訪れたことがない

任天堂の社長でなくなってからも共同オーナーとなっている

任天堂が山内溥の株を買い取りマリナーズのオーナーとなった

イチロー

イチローが大リーグへ移籍する際に「何が何でも獲れ」と激励を送っている

2005年にイチローが年間最多安打を達成した際に

お祝いとして任天堂の株式を5000株送っている

 

そのほかにもゲーム会社を支援する投資や、大学付属病院の設立に個人の多額の資産を寄附している

2008年にはアメリカの経済誌フォーブスで「日本一の富豪」に選ばれている

総資産78億ドル(約7750億円)と言われている

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